イケダ ハヤト著『武器としての書く技術』レビュー・書評 ①Web発信のスタンスとテクニック

イケダ ハヤト著『武器としての書く技術』中経出版

はじめに

書く技術を武器に稼いでいる著者。2013年当時の書籍ではあるけれど、Webで発信する際の基本テクニックや、その価値にはまつわるものはあまり古臭くない印象。

個人的には発信の本質についてや、その基本的な価値が知りたくあった。稼ぐテクニックに関しても、今でも用いられる手法を解説していて、基本的なところは十分参考になった。

本書が役立つであろう人として、冒頭に「悶々とした人生に突破口を見出したい人」とある。書く技術がそれをもたらしてくれるのならよい。

web発信の前提

「はじめに」では、Webで文章を発表する際の前提がある。

今 までの 本 は、 伝える 人 が い て、 伝える こと が あっ て、 その 上 で、 どう 文章 を 書く のか、 という こと について 語っ て い ます。 つまり「 読者 が いる」「 伝える こと が ある」 という のが 前提 として ある わけ です。 目 の 前 の 椅子 に 座っ て いる 読者 に対して どういう 文章 を 提供 す べき か、 という わけ です。

しかし、 これから の 時代 は 文章 を ウェブ 上 に 発表 する という こと が 多く なっ て くる でしょ う。 意見 を 述べる、 人 を 感動 さ せる など、 何 かを 伝える には ウェブ を 使う こと が 前提 となり ます。 主戦 場 は ウェブ という 大海原 なの です。 その とき、 目 の 前 に 読者 は い ませ ん。 自分 で 集め なけれ ば いけ ない の です。

イケダ ハヤト. 武器としての書く技術 (中経出版) (p.6~). 中経出版. Kindle 版. 

伝える相手などそもそもおらず、自分で集めないといけない。それはストリートライブに近く、たまたま通りかかった人をつなぎ留める力が求められる。

それらは「新時代の文章術に求められる四つの力」とまとめられていて、これがまさに「webライティング」ということか。

前述のように、個人的にはwebライティングというより、アウトプットよるコンテンツ制作を知りたかった。ただ、やはり文章を読んでもらう姿勢も必要で、それにまつわるものも有益だった。

 

発信のスタンスと読んでもらう工夫

一章は「Webで読まれない残念な文章」のケーススタディで、二章では細かなWebライティングの発展形がまとめられている。そこで気になったのは、発信の基本的なスタンスと読まれる工夫。それらをまとめてみる。

完璧主義をやめる

最大限 頭 を 働かせ た 末 に 紡ぎ 出さ れ た 言葉 なら、 どんなに 中途半端 で、 未熟 で あれ、 発信 し て おく べき です。 バカ だ と 思わ れ た って いい じゃ ない です か。 実際、 そこ が 自分 の 限界 な わけ です し。

人間 なんて どう やっ た って バカ で 無知 な ん です。 変 に 賢く 取り繕う なんて あり ませ ん。 自分 の バカ さ 加減 を 知り、 高め て いけ ば いい だけの 話 です。

完璧 で なく て いい の です、 今、 自分 が たどり着ける 限界 点 を 切り出し ましょ う。 バカ にさ れる 恐れ さえ 払拭 すれ ば、 執筆 は 自分 の「 現在地」 を 客観的 に 認識 する すばらしい 機会 と なる はず です。[中略]

イケダ ハヤト. 武器としての書く技術 (中経出版) (p.75~). 中経出版. Kindle 版. 

小見出しには「人間なんてどうせバカ」とある。今の完璧にこだわっていれば、そもそもなにも記せない。自分の知力・実力を受け止め、高めていくこと。その姿勢がないと始まらない。

未熟だった頃の記録も役立つかもしれないし、倫理を犯さず発表すればよい。反対意見を否定せず、未熟を前提に世に投げかけていく。下書きを溜めてしまうのも一考したいところ。

発表するからうまくなる

[略] 注意 し たい のは、「 発表」 という プロセス が 重要 だ という こと です。 よほど で ない 限り は、 誰 も 見 ない ところ で 書き 続け て い ては、 文章 は うまく なり ませ ん。 他人 の 目 に さらさ れる こと が 重要 なの です。

イケダ ハヤト. 武器としての書く技術 (中経出版) (p.77). 中経出版. Kindle 版. 

これは個人的に刺さるもので、他人の目はかなり重要。見られることを意識していれば、自然とクオリティを上げようとしたり、自然と変化していくはず。それが耐えられないのは、自分の未熟さを受け止めていないからか、あるいは自尊心を懸けて才能を誇示しているからか。

いずれも処女作で世の中がひっくり返ったりしないし、だれもが未熟なところから始めている。アウトプットの熟達者は皆、特に三章にあるところは共通するはず。心構え、実践のテクニック、挫折せず継続するこつ等

他のブログに積極的に絡む

自分 の 言葉 を 広め たけれ ば、 まず 他 の 誰 かの 文章 に 反応 する こと です。[略]

イケダ ハヤト. 武器としての書く技術 (中経出版) (p.107). 中経出版. Kindle 版. 

これもブログが伸びない一因だった。自分の言葉を広めてくれるのは別の誰か。そのためには自分が接点を持つこと。同類との交流を発生・維持させられなければ、もう本当に何も変わらない。そして誰も見てくれないとクオリティも上がらない。

AIやアルゴリズムは恐らく、内容の良し悪しを主観的に見れないはず。判断材料は客観的な数字であり、それは他者がもたらすもの。自分か誰かの積極性から始まるのであり、それがWeb上での基本。

どういう文章がウケるか分析する

[中略]ぼく ら は ビジネス を する 際、 必ず 売上 や 経費 を 記録 し、 顧客 の 反応 や 声 を 参考 に し ながら、 小さな 実験 を 繰り返し、 最適 な 戦略 を 導き出し ます。 読ま れる 文章 を 書き たい と 願う の なら、 それ と 同じ こと を、文章 でも やる べき なの です。 分析 を し ない ブロガー は、 売上 や 経費 を チェック し ない 経営者 の よう な もの です。

「とにかく いい 記事 を 書い て いれ ば 多く の 人 に 読ま れる よう に なる」 という のは、 真実 では あり ませ ん。「 いい 記事」 という のは、 日々 データ を 分析 し、 外部・内部 環境 を 把握 し、 ああ でも ない こう でも ない と トライアル・アンド・エラー を 繰り返し た 結果、 はじめて 生み出せる よう に なる もの です。

イケダ ハヤト. 武器としての書く技術 (中経出版) (p.109~). 中経出版. Kindle 版. 

これも自分はおろそかにしていて、フローのブログは二年経ってからアナリティクスを導入した。しっかりと他人の目に触れさせ、そこからフィードバックを受けること。そうやってトライアンドエラーをしないと改善されない。

クオリティの向上とアクセスの下積み。自分でお客さんを集め、ファンになってもらうこと。それを怠って嘆いても仕方ない。誰からも反応がないのも反応。それを前提にクオリティを上げること。そのスタンス。

書き続けて固定読者を獲得する

極論 すれ ば、 毎日 書き 続ける こと さえ できれ ば、 ブログ は 自然 と 人気 を 集め て いき ます。 多く の 人 が 人気 ブログ を 作る こと に 失敗 する のは、 それ は 結局、 継続 を 諦め て しまっ た から です。[中略]

ここでの「継続」は、少なくとも1年、基本的には5年、10年といった長期間の継続です。スポーツやビジネスがそうであるように、1年も続かないものが、成功するわけがないのです。

イケダ ハヤト. 武器としての書く技術 (中経出版) (p.112~). 中経出版. Kindle

これに関しては実践があって、現時点で二年はコンスタントに更新している。上述の解析を始めてみたところ、実はアクセスらしきものがあったりする。さすがに誰かは偶然認知してくれて、そこから読者になってくれるのだろう。こういったシンプルなことも重要か。しっかり上述のスタンスを維持し、地道な根気強さで継続をしていくこと。

 

おわりに

本書の「おわりに」では、「書くだけで人生は変わる」とある。

しかし、ただ「書く」といっても、適当に書いていればいいわけではありません。毎日フェイスブックミクシィに日記を書いていても、何も生み出せない人もいます。一方で書くという方法で確実に人生を変えていく人もいます。

「書く」とひとことでいっても、ある程度のノウハウやテクニックが必要です。それを駆使すれば、誰だって人生を好転させることができるのです。

イケダ ハヤト. 武器としての書く技術 (中経出版) (p.169~). 中経出版. Kindle

これまでの自分がまさにそうで、闇雲に努力しても効果はない。正しい努力が必要で、それを本書は教えてくれる。成功には成功の理由があり、正しい努力を理解し、基本・応用のテクニックを用いて継続すること。

初学者には結構な壁でも、こうやって先達がまとめてくれているだけ有難い。テクニック、努力、継続、その他諸々を理解し、悶々とした人生が変えられたらいい。書くという現代の文章起業。個人的に在宅で一旗揚げるにはこれだろう。

 

引用・参考文献

イケダ ハヤト.著 武器としての書く技術 (中経出版

 

メンタリストDaiGo著 『知識を操る超読書術』学びとレビュー 本の知識化は読む準備で決まる

メンタリストDaiGo著 『知識を操る超読書術』かんき出版

はじめに

まず、この本の「前書き」にはこのように記されている。

本書 は、 次 の よう な 悩み を 抱え て いる 人 たち を イメージ し て 書き まし た。

■ マンガ や 小説 なら 最後 まで 読める けど、 他 の 本 は 集中 力 が 続か ず、 読み切れ ない

■ 読ん でも 内容 が 頭 に 入ら ない。 翌日 には 忘れ て しまう

■ 人 より 読書 量 は 多い はず なのに、 読ん だ 内容 を 人 に うまく 説明 でき ない

メンタリストDaiGo. 知識を操る超読書術 (p.3). 株式会社かんき出版. 

自分は二番目と三番目の人間で、まさにそのような悩みがある。文字を追う力はあっても、それを有効活用するスキルがない。情報は知識化あってのことで、知識は問題を改善するもの。そこまで意識して取り組まない限り、読んだ本は置物になるだけー。

個人的な読書でのニーズは、しっかり知識化することはもちろん、コンテンツでのアウトプットも目的にある。あらましを記憶して知識にし、それを編集してコンテンツにする。その目的の重要性が根底にあり、DaiGoさんも努力してその力を身に付けたそう。効果的なインプットが出来ないと何も始まらない。

 

学びの本質

その「前書き」には、序盤だけに本書を一貫する本質が記されている。

結論 から 言う と、 本 から 得 た 知識 を アウトプット できる か どう かは、 1つ 目 の「 本 を 読む 準備」 を し て いる か どう かで 7 割 決まり ます。[略]

たとえば、 なんとなく 本 を 手 に 取り、 最初 から 読む もの だ と 思っ て ページ を めくり、 進め て いく 人 と、「 なぜ、 自分 は この 本 を 読も う と 思っ た のか」「 その 本 から どんな 知識 を 得 たい と 考え て いるのか」 という 目的 を 明確 に し て いる 人 とでは、 読書 体験 が 異なり ます。

メンタリストDaiGo. 知識を操る超読書術 (p.5-6). 株式会社かんき出版. 

すべては「何を目的に読むか」であり、知識による問題解決やアウトプットが先立つもの。そのための準備をしているかで決まる。知識を操るのがこの読書術であり、その目的意識を持つのが最も大切。そのノウハウが記されているのが本書。

小説 や マンガ の よう に ストーリー を 楽しむ ジャンル は 別 です が、 本 は 最初 の ページ から 最後 の ページ まで じっくり と 読ま なけれ ば いけ ない わけ では あり ませ ん。

重要 なのは、 あなた が 読書 の 前 に「 得 たい 知識」 を 明らか に する こと です。

メンタリストDaiGo. 知識を操る超読書術 (p.10). 株式会社かんき出版. 

まずこの部分を覚えるだけでも価値がある。必死になってページに線を引いたり、冒頭から熟読するのに効果はあったか?知識化という目的があるはずで、そのためには闇雲に努力しないほうが効果的。

そのように記される分、まずそれを実行させるようにしてくれる。「本の内容を自分のものにしたい」「読んだ本を役立たせたい」というニーズがある場合は、二章や三章から読めばいいそう。*1

 

一章や二章は読書に苦手意識がある人、あるいはそもそも読み切ることができない人へ向けたもの。三つの読書術の誤解を解き、モチベーションをコントロールしたり、記憶するこつと準備がまとめられている。三章はその理解と記憶のテクニック、四章はDaiGoさんのようにアウトプットを実現するテクニック。

上述の本質は、三つの誤解を解く際の前提知識となっている。速読は内容が置き去りになるし、読むニーズを明確にして取捨選択すればよい。多読は読む目的を失うため、アウトプットを前提に置く。これらは序盤の知識から導かれたもの。

個人的には三章の一部に覚えたいものがあったため、そこを重点的に読めばいい。その見極めが大切。求めている知識を明確にし、目的をはっきりさせる。これもその前提知識あってのもので、その土台があってこその色々なテクニックだ。

 

これから使いたいテクニック

三章の始まりには、「難しい本でも何度も読み返すことがなくなる」とある。そこには五つのテクニックがあり、そのうちを「要するに読み」を活用したくある。

活用したい「要するに読み」は、DaiGoさんの別の本、『超戦略ノート術』とかなり類似している。そこをそのノート術と合わせて活用したい。

 

「要するに読み」は二種類あって、一つ目では全体像をつかみ、もう一つでは絞った内容を頭に刻むもの。前者では各章を拾い読み、印象を添えつつ自分の言葉で要約していく。その過程で読むべきところも精査する。

それは上述のノート術「チャプター法」に似ていて、読むところを選択するのは「What・Why・How法」のWhyを使うそのもの。ここにも読む目的を明確にするのが重なる。

そして「絞った内容を自分の言葉で要約する」というのもそうで、「自分の言葉で」というところがノート術の鍵だった。そこに既存の知識や体験も絡めるとよく、それは「つなげ読み」のそれによるだろう。

その章の中から、本 を 読み 終え た とき、 きちんと 自分 の 中 に 残し て おき たい 内容 を「 自分 の 言葉」 で 要約 し、 まとめ て いく の です。

メンタリストDaiGo. 知識を操る超読書術 (p.155). 株式会社かんき出版. Kindle 版. 

本 は ただ 読ん で、 内容 を 受け取っ た だけでは あまり 役に立ち ませ ん。 自ら 仕掛け て、 自分 の 言葉 で 自分 事 に し て こそ、 人生 に 影響 を 与え 始める の です。

メンタリストDaiGo. 知識を操る超読書術 (pp.156-157). 株式会社かんき出版. Kindle 版. 

まず「Why法」「要するに読み」で読むべきところ・チャプターごとのあらましを理解し、覚えたいところを自分の言葉で要約していく。そう読む個所を減らしておいて、覚えるべきところで熟読、労力をかけていく。

個人的には全体を通読したかったため、本書では「チャプター法」と「要するに読み」で全体を理解・要約し、覚えたいところを引用してみた。これが個人的な「本を理解してまとめ、アウトプットにつなげる」というのに適うテクニックだと思う。

 

更に用いたいものとして、「つなげ読み」がある。このテクニックにまつわるものが本書に散らばっていて、それは個人的な目的に適うと思う。

各章の間にはコラムがあり、まずワーキングメモリにまつわる記述に似たものがあった。

逆 に ワーキング メモリ の 働き が 高い 人 は、 脳 内 の 記憶 から スムーズ に 必要 な 単語 を 引き出し、 最近 読ん だ 本 の 内容 と 組み合わせ、 アウトプット する こと が でき ます。

メンタリストDaiGo. 知識を操る超読書術 (p.109). 株式会社かんき出版. Kindle 版. 

記憶と内容を組み合わせることでアウトプットにつながる。書評やコラムをアウトプットする場合、その既存の記憶とつなぐのは欠かせない。それが説得力になり、新たな産出の元になる。

 

脳 は 新た な 情報 を 受け取っ た とき、 他 の 記憶 と 結びつか ない もの は 重要 では ない と 判断 し、 すぐ に 忘れ て いく 性質 が あり ます。

メンタリストDaiGo. 知識を操る超読書術 (p.141). 株式会社かんき出版. Kindle 版. 

逆 に「 この 本 の 内容 は、 過去 に 読ん だ 雑誌 の 記事 の データ を 裏付ける エピソード だ な」 といった よう に 他 の 知識 を 結びつける こと で、 脳 が「 この 情報 は 重要 な もの だ」 と 判断 し、 記憶 に 残り やすく なる の です。

メンタリストDaiGo. 知識を操る超読書術 (p.141). 株式会社かんき出版. Kindle 版. 

「要するに読み」でまとめるのは、それだけだとただの要約となってしまう。そうならないよう、既知の記憶、感情、体験、目標、感想、などと関連させて読む。そうすると書評の元になるし、記憶にも定着しやすい。

 

おわりに

上述のように、本書では「読む目的に適う章から読む」と勧められるものの、個人的には全体に学びがあった。それを理解するのに実際にテクニックを使ってみたり、別のノート術も用いたりしてみる。まず冒頭の本質を知っただけでも価値があるし、覚えたいところは繰り返し熟読したい。テクニックも実践しながら定着させたいところ。

ノート術も絡めたテクニックとしては、目的を軸に読む箇所を選別し、読むべきところを自分の言葉で要約していく。「Why法」が目的で、「チャプター法」「要するに読み」が要約。そこに記憶、感想、目標などと絡めてつなぎ、しっかり知識化していく。

このテクニックに習熟すれば、全体のあらましを理解でき、知識化が可能になるはず。それが書評のコンテンツになり、言語化・論理化のもとになる。学びによる書評と、その知識化による意見。それはコンテンツ制作の基礎であり、いつでも取り出し可能であるのが理想。それを可能にする情報が本書にはあったし、これからのアウトプットに役立てていきたい。

 

引用・参考文献

メンタリストDaiGo. 知識を操る超読書術 株式会社かんき出版

参考記事

hayate-feedback.hatenablog.com

*1:本書九ページより

メンタリストDaiGo著『超戦略ノート術』レビューと学び 科学的な記憶と知識化の方法

まずこの書籍の冒頭には、次のような効力が紹介されている。

●成績をアップさせて試験にパスしたい人

●途中で挫折することなく、目標を達成したい人

●学んだ知識を完全に理解して、収入や評価などの結果につなげたい人

2P

自分は特に三番目のニーズがある。書籍に書き込んで印をつけ、しっかり精読したつもりなのに、重要な部分の記憶があやふやなまま。そしてその内容も説明できそうにない。そのため、しっかりと知識を定着させ、表題にあるような結果を出したくてこの本を買う。

結論として、まずこのエントリをまとめるのに役立った。情報の記憶・知識化のテクニックもさることながら、本の内容を理解する方法もあり、何を学ぶのか明確になる。そしてアウトプットにも繋げられる。それを体現しているのが著者のDaiGoさんであり、あれだけの知識力・説得力に合点がいく。

 

基本的なあらすじ

全体の印象として、表紙にあるようなテクニックは、DaiGoさんが基本的なテクニックを活用し、ご自身のアウトプットを実現したもの。

心理学についての圧倒的な記憶・知識化、それを成果に繋げるためのモチベーション管理、これらの裏打ちされたテクニックを学のであれば、中盤にある四つの基本テクニックを学べばよい。

個人的には書籍の内容の理解するのが目的であり、それを整理するためのテクニックが役立った。自分に最適な方法を見つけるのが勧められていて、序盤に本質的で基本的なテクニックが紹介されているため、それを応用して独自に編み出すのも良さそう。

 

「初めに」では誤ったノートの取り方が例示されていて、そこを指摘する部分が短くある。そこの内容が最も核心を突くもの。序盤だけに最も本質的な部分。

この書籍では十種類近くのテクニックが紹介されるものの、全ては序盤の基本的なテクニックの応用であり、そこを理解するのが最も効果的。すると独自の応用も可能になり、DaiGoさんも四つのテクニックの中でそうされている。

 

学びの本質

序盤には核心の部分があるけれど、個人的に最も印象に残ったのがこの部分。

〈真に効果が高い「使える勉強法」には、共通して〝1つの特徴〟があります。(中略)結論から言えば、答えは「アクティブラーニング」です。(中略)数十年におよぶデータの蓄積があるテクニックであり、多くの実証データでも「効果が高い勉強法はアクティブラーニングの要素をふくむ」との結論が出ています。〉

受け身の姿勢で講義の内容を頭に入れるのではなく、創意工夫して、自分なりに情報を加工する。要するに、自分の頭を使って考えることこそが、アクティブラーニングにおける最大のポイントです。

4P

まず受け身の姿勢であることを止め、自分なりに情報を加工すること。ただ受動的に読んだとしても、断片的に感情が動いた部分しか記憶されない。それでは知識化までにならない。それが最も解決したい部分。

私たちの脳は、外から取り入れた情報をいったん自分の手で加工しないと、物事をうまく記憶できないように設計されています。

21P

書いた内容を自分の頭の中で嚙み砕いて情報を吟味しなければ、せっかく勉強した内容も頭には残りません。

32P

まずこの科学的な事実を知らない限り、全く効率が上がらないはず。それはインプットの脆さでもあり、アウトプットも脆くなるもの。ましてやその状態で成果を定めることも出来ない。全てのテクニックはこの上に立つ。

 

書籍の記憶・知識化のテクニック

そしてこのエントリーでも用いたテクニックは、「概念地図」というものの派生形で、「チャプター法」と「What・Why・How法」。

まず概念地図というのは、ノートに学習したいメインテーマを置き、そこに繋がる知識やアイデアを書き連ねるもの。すると情報の繋がりが分かりやすくなり、難しい概念でも理解しやすくなる。このノート術で読書ノートを取るのがおすすめということ。

 

「チャプター法」では本の章=チャプターごとに自分の言葉で内容を要約する。自分はこれをノートに書き連ねたため、ざっくりとどんな流れがあり、どのようや内容であるか理解しやすくなった。それが上述の前半部分に当たる。

そこからの「What―法」は、その名の通り、「これは何の本か」「何の目的でこの本を読むのか」「この本が伝えることは何か」ということをまとめるもの。

特に重要な点は、Whyの「何のためにこの本を読むのか」。それをはっきりさせることにより、どこを重点的に読めば良いのか分かり、意味のある学習・知識化になる。チャプター法は分量が多いと大変なため、「Whatー法」で文言を見極めつつ、学ぶべき核心を突けば効率的。

一方、この「What Why How法」は「そもそも自分はなぜこの本を読もうと思ったのか?」を考えねばならないため、自分の頭の中に「情報選びの軸」ができあがります。[略]

「What Why How法」で「この情報は自分にどう役立つのか?や「このテクニックをどう活かすか?」を考えながら概念地図を作ると、本の内容がより身近になります。その分だけ知識が深く脳に刻まれ、情報があなたの血肉となるのです。

183P

 

終わりに  読書の効果・効率が良くなる予感

冒頭に記したように、今まで熟読・精読を心がけてきたけれど、それだけでは成果に繋げるために物足りない。しっかりと積極的な姿勢でノートに向かい、自分の言葉で加工していくこと―。

それが実際に効果的な学習に繋がり、このようなエントリーにもまとめられる。闇雲に努力をするばかりではなく、一度立ち止まり、効果的なインプットをすることが重要。そのための気付きは個人的に十分あった。

それが明確なアウトプットにも繋がり、いつか手元にリターンが戻るかもしれない。タイトルにある「成果」の明確化にも繋がって、必然的にやるべきこと=インプット・アウトプットが定まる。もっとこの技を磨き、スキル化して大きな成果を挙げたいところ。

 

参考・引用文献  メンタリストDaiGo著 『あなたの知識を驚くべき結果に変える 超戦略ノート術』学研プラス

胸を圧迫すると起こる頻脈の原因が判明 「上室性頻脈」は息張ると解決するそう

ここ直近で突発的な頻脈・動悸がしてパニックになったりしていた。最も酷かったのが昨日で、三十分近くも強くて早い拍動が続いた。流石にまずいかと思ったものの、何とかその時間で収まってくれはする。

10月12~13日 体力と頻脈 いつ事切れるか - 欠乏の機能性ブログ

以前の検索では原因が分からなかったものの、今日になって調べたら大体の事が分かった。「頻脈 かがんで息を止める」と打ち込んだ結果、それによる症状はヒットしなかったものの、「止め方」に関連していろいろ出てくる。

ある女性は三時間も発作が続いたそう。初めは数分で収まったというのは自分と同じ。

「上室性頻脈」と書かれていることからいうと、これならば、急死することはありません。一人でいたときに起こっても平気です。
冷たい水や氷のかけらをゴクンと飲んだり、息を止めていきんだりすると、瞬間的に治ります。

上室性頻脈の対処法 | 心臓病の知識 | 公益財団法人 日本心臓財団 (jhf.or.jp)

「上室性頻脈」というものがあるそう。その確定診断が必要ではあれ、突然死するようなものではないとのこと。それは一安心できる。

その瞬間的な治し方は、他の記事でも同じものがあった。

この頻拍症には、心臓全体に電気を流す刺激伝導系が関わっています。中でも、心房と心室の間にある「房室結節」がキーで、ここの伝導を抑えると頻拍が止まります。その一番良い方法が、迷走神経を緊張させることなのです。それには色々方法がありますが、自分で出来て、一番効果的なのが、「息ばる」ことです。専門的にはバルサルバ手技と呼ばれます。便秘の時に、硬い便を出そうとお腹に力を入れて「息ばる」、あのコツです。お腹が膨れるほど大きく一杯に息を吸込んで、口を閉じ、お腹にぐっと力を入れるのです。息が続かなくなるまで、顔も真っ赤になるほどに「息ばる」のです。1回で止まらなければ、それを繰り返してみましょう。

自分で止められる頻拍症があります - 院長の医学講座|小川聡クリニック (ogawasatoshi-clinic.com)

迷走神経の緊張がなぜ関わるかは解らないものの、それが効果的なのは分かっているよう。「便を出すときのそれ」と記憶しておこう。

中には発作が出るたびに、苦しくなって救急車のお世話になり救急外来で点滴をしてもらって止めてもらう方もいらっしゃいます。今回お話しした止め方を知っているだけで、大騒ぎにならずに済みます。但し、本当に発作性上室頻拍かの正しい診断をしてもらった上で、やり方も専門医に正確に指導してもらう必要があります。

自分で止められる頻拍症があります - 院長の医学講座|小川聡クリニック (ogawasatoshi-clinic.com)

自分もそれがよぎりつつ、「自然に治るだろう」とも思っていた。やはりそういう人もいるのか。もちろん正しい診断をしてもらいつつ、セルフケアで治めていきたい。

ただ、発作の途中で心電図を撮ってもらうのも無理だろう。救急車で担ぎ込まれるわけにもいかないし、ほぼその線で合っているとは思う。

とりあえず、つぎの診察ではドクターに報告しよう。発作が起きていないと診断されないだろうけど、言っておいたほうが良い。

 

過去の残像とエネルギー 回顧と内省

前日に少し出掛けたため、今日はゆっくりと過ごしている。休養の日としているけれど、暇に過ごしているところだ。やることが立て込めばきつくなってしまうし、バランスを取る日は必要だ。今日はそのような日でもある。

そう落ち着いた日ではあるけれど、やはり暇になっている。退屈しすぎるのも良くない身体だ。適度に活動しなければならないし、休みは中一日くらいで良い。今日はやることがない。

 

今はマイナスの水準をゼロに引き上げる段階。無理をしなくても良いけれど、多少はエネルギーがある。それをどこかへ向けたい。そう思っているのだから、そうしなければならないのだろう。

エネルギーにやり場がなければ、それはフラストレーションを生む。やがて内面での長引く刺激となり、ストレスになってしまう。

 

ソーシャルな場は、あるのはある。ただ、病的な時にその場へ行っても意味はあるか?身体の限度はあり、それを上回ってしまう可能性が高い。

でも、その考えを却下すれば、全く選択肢がなくなる。では一体どこに切っ掛けがあるのだろう。それがわからない。社会との接点が得られず、切っ掛けがない日々。

昨日は親と車で三十分程の所へ出掛けた。2時間ほどの外出。今はそのくらいが丁度良い。それは体力的な限度でもあるけれど、そのように考えなくても良いか。この水準であっても十分な進歩はある。それを感じていた。帰りの車中では、母親が嬉しそうに「充実した」と言っていた。

 

最近の事ではあるけれど、少し前までは体調がとても悪かった。そのなかで必死に日々を生きようとした結果、余裕が失われていた。何とか落ち着いて過ごそうと試みたけれど、それは誤ったものばかりだった。それで親に負担を掛けてしまった。一人で居たがったり、近寄ってほしくない雰囲気を出していた。

それは疲れているというメッセージで、一人で過ごしたいということだった。後から振り返れば解るけれど、その時はどうしても解らなかった。振り返ればそういった真意があったのだった。

 

ずっと自分の不調について理解できなかった。自分でも解らないし、他の人も到底解らない。もちろん、親に相談をしても何も得られなかった。ずっと「罹りつけのドクターへ相談しなさい」とか、「またちゃんと相談しよう」という一点張りに終始していた。

それが辛かったために、全てを閉ざし、遮断して何とか踏ん張ろうとしていた。それが前述の行動に繋がっていった。

 

それが限界を迎え始めた頃、新しいクリニックへ罹るという時に両親とぶつかった。自分は、そこで泣きながら話をした。親はこう言った。

「家族なんだから話をしてほしい。好きな物も買うし、行きたい場所へも連れていくよ。だって親だから。母さんと出掛けている間、一人で死んでいたらおかしいでしょ? それは嫌だから」

父親と話していて、そのうち母親もその場にやってきた。自分は嗚咽のなかで、どうしようもならない呪縛についての事や、ありのままの感情と感覚を伝えた。

しばらくして打ち解けた後、それまで集めていたHSPの情報を詳しく知るため、アーロン博士の著書を通販で買ってもらった。

 

そこから少しづつ事態は変わりだした。ようやく歯車が噛み合ってきたところ。その後、新しい病院へ通い出し、今は丁寧な先生に助けられている。とても有難い。

少しでもタイミングがずれていれば、すべてがどうにかなっていたのかもしれない。何とかタイミングが繋ぎ合わさったのだと思う。

今もきついのはあるけれど、以前より格段に変わっている。見えない面で進歩しているの。きっとそうだ。そう思っている。

出掛けた際、以前通っていたフリースクールの近くを通った。そこでかつて通っていた時のことを思い出した。そこはやはり刺激が多く、通い続けるなかで体調が乱れていった。やがて一時的に神経が高ぶり、そこでまた痛手を被ってしまう。

自分は何年もそうした解決を試みていた。でも、それは誤った努力の仕方だった。歪んだ行いは身体に現れ、最後は駄目になってしまう。学校も何もかも、外の世界との交わりはとことんつまずいている。

 

これからは、自分の唯一無二の人生を切り開けば良い。そうしたいし、そうするしない。その決心は付いている。闇雲に努力する必要はない。やるべきことを定め、それに従えば良い。

そのためにも勉強することだ。絶えず学ぶこと。HSPの気づきを経て認識が変わった。

 

十年ほど前に周りと枝分かれをし、今までに色々あった。平気でいられた年もあったし、入院した年もあった。快復してフリースクールに通っていた時もあり、生活も体調も酷かった時もある。我慢の限界の際と、そこから現れた切っ掛け。そこからの選択、そこからの変化。

すべてが今の日々に繋がっている。今までなんとか生きてきた。ただ、それはまだ続いていくのだろう。そんな気がする。ここから峠に入っていくかもしれない。

正念場だ。まだまだ始まったばかりだ。そう思う。きっとそうだ。忍耐と鍛練。あと少し。

対人的な初歩のステップを踏んでいきたい。そのための場所はないだろうか。今の状態から始められる場所がほしい。

今の時代であれば、在宅で仕事をすることが出来るかもしれない。でも、それだけで人生は完結しないだろう。対人関係やコミュニティとの関係は切り離せないはず。それは切り離したくないし、やがて必要となってくるだろう。

いつかは誰かと交わりたいし、その行動こそが快適な日々を創る。それは必要なものだ。そこから逃れたくはない。自分は幸せになりたい。

 

生者の内に自分の魂を弔うこと。満足してこの世を去ること。亡くなってしまえば、全てが無になってしまうだろう。それを考えると、生者の内に無念を感じることが一番辛い。亡くなった魂は無に帰るとすれば、どれだけ周りの人に供養されても、生者の内の魂は満たされない。一番は、生きている内に満足すること。そうやってこの世を去ること。

この世に生まれた以上、全てを受け容れ、楽しむ他無い。生があるのなら、誰しも幸せを望むはず。それを得るしかない。生きている内に、それを全力で得ようとすること。

可能なら、充実した人生を振り返り、そうやってこの世から押し出されていきたい。

 

参考書籍 :

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付きまとうセンシティブさ 誤った生き方の術

閉じきった部屋にストーブの匂いがこもっている。色の見えるようなガスの匂い。窓の向こうを見れば、辺りは既に晩秋の気配がしてくる。もうすっかり寒くなった。あれほど暑かった夏は過ぎ去り、一年の終盤に差し掛かっている。

夏の暑さはきつい。でも、空が青く、光が差してくるのは有難い。冬と比べれば、それだけで心が軽くなる。冬の風情も好きだけれど、どこか暗い気分に覆われてしまう。過去の鬱屈とした気持ちが蘇る。灰色の空と雪に閉ざされた街。色を失っている一面の世界。どうにもかつての体調を思い出す。やはり晴れが良い。

身体のレベルが低いのはあるけれど、終日家に籠りきりでは、良くなるものも良くならない。それはタフネスパーソンであってもそうなるはず。人間は適度な刺激を求めるし、籠りきりで暇なのも良くない。

かといって、外は外で刺激が多い。それでいてやりたいことは強くあり、それが満たされないと内側での刺激となってしまう。

敏感さと好奇心旺盛さ。刺激に耐えうる幅が狭い。快適でいられる幅が狭い。多方面から刺激が伝わり、それを受け止めてしまう。

 

テレビなどの画面の向こうの人たちは、何の気なしに自分のペースで過ごしていそうだ。個人的にはそう感じられる。羨ましい。寝る時間や食べる時間、休む時間など、すべてを自由に過ごしていると思う。

それが得られない人もいる。それさえ手に入れられたら良い。そう思う。そのためには安心できる環境を作り、親愛なる人と過ごすこと。そしてゆっくりと自分のペースで歩むこと。それが一番だ。

 

一人で過ごす時間をもっと増やしたい。まずはそこがある。もはやそれだけで大方は楽になると思う。刺激に対して防御すること。安らげるところでバランスを取ること。

タフネスパーソンであっても、学校生活や仕事で感情が外側に持ち出されたら、一人静かに過ごしてバランスを取る必要がある。そうすることで家族と穏やかに接したり出来る。

それは何気なく自然に行われるものだろう。こういったことをHSPは意識して行い、外側との緩衝地帯をつくる必要がある。

それを叶えるために、家族と話をしたりする。外側の問題は、内側に原因があったりする。外に出ていくために内側を整えたり、今度は内側を保つために外と相対したりする。

大切なのは、安心の出来る環境があること。そして優しい人がいること。それがあれば上向いていくはず。

 

個人的には、ネックの中に家族の存在がある。それが難儀なところだ。家族は責めてくるようなことは言わないけれど、紆余曲折を経て、自分の抑圧の発端になってしまった。そのため、なかなか呪縛を解けない。こもる日々と家族。体調と日常。常に神経が高ぶりやすい。

一番の理想は、気楽に考えること。安心できるような、精神的で肉体的な居場所を持つこと。それがないから不安定になり、好ましくない立脚点を頼りにしてしまう。置き去りにされた気持ちは、別のところで現れる。

 

「体調をケアすべきだ」という教訓。それは体調ばかりを気にしすぎる事に繋がった。無理に身体を上向かせようとしてしまうこと。そのように振れて身に付いた。それは周囲のケアによって得た生き方の術。その事が好ましくない場合がある。

身体が低調な時は、体調にまつわる自分の感覚や感情、相手の挙動や感情をセンシティブに感じ取り、深く考えてしまう。それが重くのし掛かり、その相手を喜ばせようとか、安心させようとしてしまう。ありのままの反応が持ち出されること。それは抑圧へ繋がっていく。

 

体調は全ての原初。一番の原資だ。元気があれば何でも出来る。でも、元気がなければ何も出来ない。

身体が辛い時は、体調の感覚全てが押し寄せてくる。良い時には更に上向かせようとし、悪い時はこれ以上悪くならないようにしようとしてしまう。そう強く思って自分にプレッシャーをかけていく。

無理のしすぎだ。体調が良くなれば良くなっていき、悪くなれば悪くなっていく。悪循環はすぐやってくる。

 

安心できる環境に身を置き、優しい人が近くに居てくれること。それらが欠かせない。それを得て、自分のペースで生きていくこと。気楽に、マイペースに、呑気でぐうたら過ごすこと。

そうやって身体が落ち着けば、今度は外と折り合いをつける。その段階へ進める。周囲の協力を得て、少しずつステップを踏んでいくこと。

やはり一朝一夕には変わらないな。しばらくは忍耐だ。大事なのは、呪縛の原因を突き止めること。自分で捉え直しをしていくことだ。そして、ありのままの自分は悪くないと思うこと。そう思えるまで務めること。

体調が整えば、自己実現へ向けた生活の充実感が得られるはず。それがあれば良い。生きている実感を得たい。

挫折しても良い。とにかく苦しみや恐怖から逃れたい。その一心だ。「普通」に届くか。諦めなければ可能性としては無限。

 

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過去の歪みと好ましい立脚点 捉え直しの日々

曇天の隙間から青空が覗ける午後。それだけで心にも光が差す。精神的に辛いことがあったとしても、光が差して青空が見えたら楽になる。

好きな音楽を聴くことが出来、身体が楽であれば平気だ。それくらいであれば、取り敢えずは何とかやっていける。その場しのぎのリラクゼーションは細かくある。それを試すことにより、少しは楽になったりする。

でも、いつかは根本から楽になる必要がある。その時を迎えないときつい。ただ、その時まではじっと忍耐すること。音楽や自然によって持ちこたえよう。

最近は、HSSによるじりじりとした焦燥感はない。この性質があれば、穏やかに過ごせる環境を築いても辛くなる。やがて内側から刺激が発生してしまためだ。退屈しすぎても神経が高ぶってしまう。

外の世界に出ても神経が高ぶりやすいし、内に籠りすぎても同じように高ぶってしまう。日常に飽きてしまえば刺激になるし、外に出たい気持ちを却下しても刺激になる。内的なHSSのネックもあるし、外的なセンシティブさのネックもある。

どちらにも振りきれない。その中間の快適に居られる幅が狭い。どうしても極端に狭い。内と外の困難さ、複雑さ。一朝一夕に劇的に変わることはない。それは生涯に渡り挑み続けるものだろう。今は根底ある基礎を築く期間。焦らず焦らず。

相も変わらず病的なままだ。食事や体調にまつわるセンシティブさがある。それは幾日もあり続ける。奥底のにある体調コンプレックスが発現し、表層の意識を乗っ取っている。自分のナチュラルな気持ちや感覚、欲求は取り残されたまま。

とにかく刺激を受け取りやすい。それを持続させてしまえば、やがてフラストレーションが溜まる。それは抑圧に繋がり、本来の反応や感情は取り残されていく。そして次第にバランスが取れなくなり、身体や心へ支障を来たす。

それを防ぐには、外側にある刺激から自分を守る緩衝地帯が必要だ。過去の親の残像に縛られ、奥底にある誤った思考や、呪縛のようなものが意識を作ってしまう。抑圧に至らないために、まずは緩衝地帯が必要。それが叶えば、抑圧された声は意識の段階へ上がってくるはず。

 

周りの環境によって抑圧に陥るのならば、生活環境の中で区切られた場所が必要になる。でも、それが難しい。親を安心させようとしたり、喜ばせたいという気持ちが絶えずある。それは苦境を脱却しようというする生存戦略でもあり、より強力なものになっている。過去の人を喜ばせ、それによって自分の安全を確保しようとしてしまう。「痛手を克服するには無理をするしかない」と。

確かだった苦しみと、好ましくない誤った認識。先細る身体と心配する親。根底にあることを解ってもらいたかった自分と、弱る身体を対処しようとする親。得体の知れない処断と、それに対しての足掻き。掻い潜ろうとして得た立脚点。

「体調さえ良ければ」という呪縛。周囲の顔色や現況の数字の基準、食事の量やその塩梅など、それらに敏感になってしまう。高い水準を自分に課し、盲目的に頑張ること。自分を痛め付けるようにし、ありのままの感覚や反応は抑圧されていく。それらはすべて封じ込められてしまう。

一喜一憂の連鎖であり、嵐だ。絶えず自分に振り回され、落胆し、逆に安堵したりする。結果的に根本から好転せず、禍根はくすぶり続けるままだ。

気楽にいられ、マイペースにもいられたら良い。自分のテンポで生きていきたい。そのように生きていける人が羨ましい。そんな人はいると思う。それは人間の自然な営みだろう。

自分について勉強し、捉え直しを続けること。抑圧された声を聴くために努力する。そしてそれを用いて生きていく。それで生きていけるように、現実との折り合いをつけていく。そして試練の道は続く。

 

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